長年、新潟県中学教員としてソフトテニスを牽引された梅沢克文先生が亡くなりました。平成5年度の都道府県対抗大で県代表男子の監督を勤め、その大会で、男子選抜チームはベスト8に入り、弱小県だったその当時では快挙の成績でした。中学ソフトテニス界で弱小だった新潟県を何とか、底上げしたのは、県外から中途採用で来た、この先生の功績でした。県外での試合参加、県外を招いての大会開催など、今では当たり前になったことを先駆けた人でした。行く学校、行く学校で、コートが美しく整備され、選手がいない時間でもコートで一人黙々と整備しているような先生でした。退職間際の転勤でソフトテニス部の無い学校に行くことになりましたが、そこで卓球に情熱を注いで、退職をした後は卓球部の外部コーチとして子どもたちの指導を続けました。地元の体育館や学校に個人的に卓球台を多数寄付していました。梅沢先生らしいなと思いました。急死でした。前日まで元気だったそうです。身寄りが全く無く、天涯孤独だったということを亡くなった後に知りました。その時、最後を看取ってくださったのが外部コーチをしていた中学校の教員の方々であり、その方々がいろいろ準備してくれて、あくまで個人的に何とかお別れの会だけ催してくれました。学校は本来、こういうことはしないことになっている中、こうやってくれたことに感謝したいと思います。彼のことや功績を知らない人が県内でも多くなってきました。ここで少しでも記しておきたいと思いました。63才でした。故、梅沢克文先生の心からのご冥福をお祈りします。